一心寺由緒

室町時代に天台宗として創建されたと伝わる。

 

天文17年(1548)には観音寺城主・香川景全を崇敬して七堂伽藍が建立された。

 

香川氏は讃岐西方の守護代。戦国の世、景全の兄である天霧城主・香川之景は、長宗我部元親と和睦、織田信長より一字を賜わり信景と改名するなどして所領を守った。しかし、天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国平定により、この地を追われた。

 

その後、観音寺城門のひとつが一心寺に移築され、一説には享保2年(1717)に真宗寺院になったという。

 

江戸期の度重なる天災に耐えつつ、天保4年(1833)に伽藍が修復され、平成8年(1996)に至って再び美しく整備された。

 

御堂は往時のまま、十六葉菊紋の瓦、極彩色の彫刻や金色の牡丹獅子など美しい荘厳が残されている。

 

天台宗六代、浄土真宗十七代に渡って仏法の灯が受け継がれている。